久しぶりに雲間から月を見ました。上弦を過ぎて,満月に向かって満ちて行くところでした。
この「上弦の月」という名前。確か,高校の国語(古文)の時間に教わったように記憶しています。昔の人は,日々変化する月に,風流な名前をつけていたという話でした。
満月の後は,次第に月の出が遅くなって行きます。翌日は,ためらいながら(いざよいながら)月が昇ってくるのでいざよい月。翌々日は,立って待っていれば出てくる(立待月)が,その次の日は,立っていては疲れるので座って待ち(居待月),さらに遅くなると寝て待つようになる(寝待月or臥待月)。満月が過ぎて,夜明けに西の空に残っている(明け方の空に有る)月は,有明の月。
そして,半月を弓に見立てて,沈むときに弦の方を上にして沈むのを上弦の月,下にして沈むのを下弦の月・・・と教わったのですが・・・どうやらこれは,語源としては間違いのようです。確かに,満月以降は月が出るときの話なのに,上弦・下弦はどうして沈むときを基準にするのか不思議でした(月が出る時は,弦の上下が逆になりますので)。正解は,半月を弓に見立てるのはそのとおりですが,当時の太陰太陽暦(月の満ち欠けを基準にした暦)で,毎月上旬に出る弦月を上弦の月,下旬に出る弦月を下弦の月と言ったそうです。太陰太陽暦では,毎月,1日が新月で,三日月は3日に出るし,満月は15日,いざよい月の「いざよい」は,「十六夜」と書くとおりに16日に出る月なわけです。新月から満月に満ちていく途中の半月が上弦の月,満月から新月に欠けていく途中の半月が下弦の月ということになるわけです。
間違いの方は,太陽暦が採用されて,一ヶ月が月の満ち欠けと一致しなくなったため,憶えやすいように誰か(学者さん?)が言い始めたのが始まりらしいです。最近になって初めて知りました。しかし,それがけっこう一般的な理解になっているのではないでしょうか。本来の語源と違った使い方が市民権を得てしまう・・・そういうこともありますよね。
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