2010年3月29日は,水俣病問題史上,歴史的な日でした。裁判所の示した和解所見を原告及び被告ら(国,熊本県,チッソ)がそれぞれ受諾し,和解成立に向けての基本合意が成立しました。歴史的に重要なことは,その中身です。
所見は,救済対象者の選定について第三者委員会方式を採用し,委員は原告側推薦2名と被告側推薦2名,それに双方が了解できる座長の5名で構成されます。この方式は,これまで行政が独占していた救済対象者の選定権限を,被害者側に引き寄せ,行政から奪ったことを意味します。
もともと,行政が被害者を選定するという制度自体に問題がありました。なぜなら,行政(国=環境省,熊本県)は,平成16年の最高裁判所判決によって,水俣病被害の拡大を防止しなかった加害責任を断罪された立場にあります。つまりこれまでは,加害者が,ある人が被害者かどうかを決めていたのです。こんな加害者のための制度では,とても全ての被害者が救済されるはずがありません。その根本的な制度矛盾に,水俣病問題史上初めて風穴を開けたのです。
ただ,そのことが実効性を持つかどうかは,今後の闘いにかかっています。まだまだ油断できません。
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